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Kiki's letter on web vol.55

キキ通信 vol.55

2015.12.18.fri.

退院して、2日が過ぎて

いつもの生活が、やはりいつもでは無いのを感じながら、

一日がまるで惜しまれるかの様に過ぎて、

又始まりました。

 

今まで、生きて来た時間が、

閉ざされた筈の隙間から再び、

ワタシに問いかけて来るのです。

過ぎれば忘れてしまい、

やがては色褪せて、

ワタシの脳裏から永遠に消えていくのに。

 

ワタシは、再生したのでは無い。

過ぎたあの時間が、また美しく

蘇ることに気づいたのだと。

 

醜いものが、削ぎ落とされた記憶は

美しく再びワタシの目の前で新しい物語となって、

演じてくれるだろう。

悔やむ事はない、

生きると言う命こそ尊いものである事を知れば、

歓びを分かち合う事もできるのだから。

 

夏に訪れた、この場所に再び来てみた。

 

染め変わった美しい色が其処にあった。

 

今年も 残り少ない、冬の午後

陽だまりが暮れるまで、

そこに居た。

雪に染まった遠い昔のような、

そんな日があったら

また、此処へ来てみようか。

Kiki's letter on web vol.54

キキ通信 vol.54

2015.11.27.fri.

初冬の夜はキーンと、はりつめた様に静かで、

白い壁にかかる時計の秒針だけが動いている。

鉄製の白い柵が私の横にあり

無造作に置かれた何の飾りもないスチールの椅子が置いてあった。

私は、ふと目を覚まし、薄暗いベットの上で横を向いた。

ズーンとした鈍い痛みが足に突き刺さるようにはしった。

気が付くと私の足には白い包帯が巻かれ、

大腿部は分厚いガーゼで覆われている。

私のあの弱った骨はもう無いのだ。

手術室から眼が覚めて

私は又眠っていたのだ。

 

長い間、傷みに耐えていた私の足は、

こうして生まれ変わったのだと。

小さい頃から足を引きずりながら歩く私は、

この年になるまで気にしても仕方ないと思っていた。

よく転けたし、よく虐められた。

けれど、生まれつき不自由な足は

愛おしくもあり、今更葬るのも可哀想でもあった。

だから私は、

最後まで自分の足と共に歩けるまで付き合うつもりでいた。

 

それは

8月の暑い日の事だった。

いつもの様に、締め切り間際で作品に向かう私の度胸は変わらず、

一心に集中する癖が今だ直りそうにも無い。

今回は、熱のあるのに解熱剤を飲みながら仕上げた。

レリーフとコラージュの作品は、いつに無く気に入ったが、

作品納入がすむと、私は、ついに緊急入院になったのだ。

8月27日 誕生日の夜

私は病室にいた。

しかし凡ゆる検査をしても

私の病名は決まらず、果ては骨髄液まで抜かれた。

熱は今だ不明で、悪いところは脚と言う結果になった。

これは私の守り神が、今なら遅くは無いから再び脚を再生したら

きっと気持ちも引っ込まなくなるよと、

私に囁いている様に思えた。

もう、今更なんて言わず

自分を信じてみようと

あの誕生日の熱は

私に、そんな決断をさせた。

その後、私の足はついに崩れつきてしまったのだ。

 

そして、私は今また

こうして病室のベットで

生まれ変わった自分を

見ている。

 

子供の頃の

あのサナトリュウムを思い出すような、

ノエルも近い冬のことだった。

Kiki's letter on web vol.53

キキ通信 vol.53

2015.6.25.thu.

季節が変わる頃に

如何お過ごしですか。

 

私の日々の暮らしと言えば、

相変わらずが何よりと思いつつ、

自分の中で少しばかり、

何かの流れが変わったのか

時折、これが私らしさではと感じるのです。

それは、積み重ねた時間が多くなれば

今の大切さを想うのは

生かされている者であれば誰も同じの筈。

命ある者には厳しさは自分をみつける為にあるのだからと、

今になって、若い頃に読んだヴィクトル・フランクルを

想い出すのです。

 

時代が巡り、時が過ぎ、そして季節は訪れ、又

朝が来る。

そして新しい季節を迎える準備をする頃は、

自然の植物に命の美しを感じます。

今年もまた、私の家には葡萄が実をつけて、

緑色のふさが熟すのを鳥たちが待ちかまえております。

目まぐるしく時代は変わっても

日々の時間に追われていても、

ほんの小さな生きる命を感じる幸せを見つけたら

それは、音楽、言葉つづり、語る時間、そして絵画も。

森の中に、小さな空間を作ったのは、

そこの場所で誰かが癒せるならと思ったからでした。

限られた日々の今を、私がやれる事を探してばかりいたけれど、

今だから出来る事が目の前にあると気がついたのです。

 

古い箱の中の蓋を開けてみると

自分が見えてくる。

 

私は、何をしていたのだろうかと。

絵画を表現するテーマに行き詰まり、

あれこれ悩むことでは無い、自分らしさを悟る事。

この一年、アートとは何だろうと思い

自分は何の為に絵を描いているのだろうと

今さら悩んでも居た。

今、小さな命の為に、

をテーマに制作を始める事にした。

過ぎた道のりを思うオマージュから、

再び初心に戻り新たな制作をする為に

時間と命の幸せを大切にしなくてはならないと

今思うのです。

 

初夏の陽は、雨あがりに美しく

6月が過ぎようとする朝に

キキ通信を送ります。

小さな命が今日も

幸せに育ちますように。

Kiki's letter on web vol.52

キキ通信 vol.52

2015.5.12.tue.

砂糖衣のお菓子のように、、

 

今日、咲きほこる薔薇に

明日の風雨に絶えてと、

その姿を収めました。

まるで砂糖菓子の様な、ピエール・ド・ロンサール。

フランスの詩人の名前らしく

その首を揺らす姿は、何を詩っているのでしょうか。

 

この薔薇の葉の陰に、赤いテントウ虫が、水玉の衣装をつけて

住んでいるのをご存知ですか。

小さな守り神の様に、そっと葉に付く姿は、

薔薇を飾るアクセサリーの様に優しいのです。

Kiki's letter on web vol.51

キキ通信 vol.51

2015.5.9.sat.

「 過ぎていく日々に 」

 

どれ位、月日が経ってしまったでしょうか。

たしか、あれはヴァレンタインも終わった2月のある日の、

つぶやきでした。

季節が移り行く中で、多分

この場所が今の自分の居場所なのではと思う様になると、

日々ゆるゆる過ごす時間は、それはそれは

楽しいものになりました。

古い箱を開く時は胸をどきどきさせてみたり、

忘れていた小さなカードを見つけたり、

過ぎた時間が沢山ある程、そのページの厚みに驚くのです。

たとえ哀しみのページがあったとしても、今はそれも

美しく思えるのです。

時が過ぎることは、なんて素敵な事だろうかと思います。

 

そんな日々に、気が付くと季節は早々と通り過ぎて行きました。

桜が咲いたと思って、朝になったら吹雪の様に散り、

地面の上に落ちていた。

明日になったら

艶やかな緑の芽が、命の再生を演じているだろう。

季節は、すっかり衣装を変えて

私の前を通り過ぎていった。

 

ゆるゆると時間を愛しむ日々は

途方も無い速さで過ぎて行く。

 

そんな季節に、取り残されていきそうな時、

厚い封書の手紙が届きました。

封書一面に書いた、大きな文字は、

京都.大原 マリアの心臓

と、書かれておりました。

マリアの心臓が再び、京都大原で花開いた便りでした。

 

それからしばらくして、受話器の向こうから

京都大原の古民家の川の流れる音と、片岡佐吉氏の声が

届きました。

「キミコさんの展示の場所は空けてあるからね。」と。

以前、佐吉氏から

「 冬眠から覚めなさい!永眠はやがて来るのだから。」

と言われた言葉を私は又想い出す。

もう、春になったのだから、、

私は、母と最後に訪れた京都に行こうと思った。

 

今年に入り、

休む事も必要と思ったのは、きっと体力に限界がきたのだろうかと思いながら、暫く創作活動を休止しようと思っていた。

いや限界なんてありはしないのだと思った時、

其処に不思議な奇跡が、

手を差しのばして私を招いている様だった。

 

私が再び、京都の地を訪れたのは4月25日。

京都.大原でマリアの心臓が

扉を開く、それは初日でした。

美しい峰々の緑に包まれながら幾多の物語の歴史が、

奥深く眠るこの地は、

今も静かな趣きある風情が、ひっそりと佇んでおりました。

Kiki's letter on web vol.50

キキ通信 vol.50

2015.2.27.fri.

冬の間、閉ざしていたアトリエの窓の隙間から

春の訪れる気配がしたのは、二月も終わる日の事。

 

昨日久し振りに街のカフェに行くと、

春を待ち兼ねた人が其々のテーブルで

時間を気にせずに過ごしていた。

 

この日、いつもより少し離れた街のギャラリーに出向いた帰りで、

同行した作家が語る言葉に、

今自分が制作に行き詰まりを感じ未完成のまま、

アトリエに放置されている物達を思い出した。

 

言葉を聴く事も、語り合う事もその時間によって

前に進む事もある。

 

自分のやりかけた物語の最終編は、未だ見えないが

最終編に向い踏み出してみようかと、そんな気がした。

 

明日は、もう少しアトリエの窓を開いてみようかと。

春の兆しの灯りが見えるかも知れないから。

Kiki's letter on web vol.56

キキ通信 vol.56

2016.1.13.wed.

Bonne Annee!

 

2016年は、

そっと幕を開け

足音を忍ばせながら始まった。

 

新しい年の年賀に寄せて、

温かい言葉が今年も届く。

もう何年も逢うことも無かったのに、

変わらぬ言葉が添えてあった。

 

外は春を思わせる陽射しが眩しく、

この一年が

人も、自然も、

温かく包まれますように、、と

祈りたい。

 

1月12日

年明けに、入院していた病院の外来も始まる。

東京に、ちらほらと初雪が降る寒い日だった。

 

「このまま引っ込んで、吉田 キミコを失ってもいいのか。」

医師の言葉は、カルテから離れてみえた。

 

ラウンジのカフェで熱いコーヒーを飲んでから病院を後にする。

外に出ると、冬空の空気に温もりがあった。

 

2月12日

1カ月後

休んでいた、あの頃のイベントを再び始めてみることにした。

 

★ヴァレンタインのイヴのイヴの夜会を。

 

「身も心も再生したなら、もう引っ込む事は無いよ。」

京都からの手書きの言葉を読み返えす。

 

人が集い、言葉を交わすことも、

音楽に、あの頃が甦ることも、

そこの場所に温もりがあるから

私は、再び

ここに返って来ようと

自分に誓ってみる。

 

★2月12日の夜は

森のカフェの灯りは遅くまで消えない夜になるだろう。

寒い冬の夜、ガラス戸の中は、きっと温かいにちがいない。

 

新しい年に、

冬物語の1ページが

また始まる。

Kiki's letter on web vol.57

キキ通信 vol.57

2016.5.4.wed.

Muguet Porte Bonheur!

 

5月1日が今年も訪れました。

 

私は、すずらんの花を贈る時には、いつも

幸せを頂いておりました。

 

今年は「幸せの再来」と言う花言葉を願って、

すずらんの絵を描きました。

 

屋根裏の窓を久しぶりに開くと、

森の木は新緑色を一面に染めておりました。

 

この屋根裏で「幸福論」を語ったことがありました。

幸せは自分の胸に感じるもの、そして、

幸せは人に与える事で再び返ってくると言う。

しかし、身近な人がもし、悩み苦しんでいたら

自分は何が出来るのだろうか。

そんな話をしてる時

私は、

その方と語るプロジェクトの企画をする話になっておりました。

その方との出逢いも、不思議な事からの始まりで

京都大学で医学の研究をされている現役のお忙しい時に、

その様な事をお話出来たのは

何より幸せなことでした。

 

日々を過ごす私の、ひとり時間は、

どちらかと言えば部屋の中が好きで、

この頃は、とくに余り人さまと接する機会も少なくなりました。

昨年の脚の手術以来、

痛みは無くなったのに、気持が外に向きませんでした。

そんな時、今年の2月に

身も心も快気を兼ねて、

ヴァレンタインの夜会を致しました。

思いもよらぬ程、沢山の方が訪ねて下さいました。

久しぶりの懐かしい再会の幸せな夜会でした。

 

あれから、桜の季節も過ぎ

薔薇の花や、すずらんの花が咲く頃になり、

お礼の言葉をお伝えする間も無く時が過ぎてしまいました。

そして、

キキ通信の言葉も空白になっておりました。

 

時の過ぎるのは早く、日々に

今、何事も無く生きている

幸せに感謝しなくてはなりません。

 

いつも私は好きな甘いトマトを、

熊本産地のをいただいておりました。

箱に入ったトマトが残り少なくなると寂しいものです。

生産者の方のご無事と復興をお祈りいたします。

 

今日も一日が終わりました。

 

明日の朝は、キッチンのハーブに水をあげたら

頂いたハーブティーの箱を開けて

香りを楽しみたいと思います。

庭の薔薇も咲いているかもしれません。

 

小さな幸せに

ありがとうの言葉と

幸せのお裾分けを

お伝えします。

Kiki's letter on web vol.58

キキ通信 vol.58

2016.5.10.tue.

世間の華やいだ休日も過ぎて、

ひっそりと五月の雨が降る、

そんな日

いつもならロンドン日和と想いを募らせるだろうに。

けれども、そんな日は、むかし昔の過ぎた物語になったらしく

遠い日の1ページは、もう繰り返し、めくる事も無いようです。

 

確かに、ここは私の家、

古びた煉瓦の塀の上には今年も、約束した様に

薔薇が咲いてくれましたから

私は、もう何処に行かなくても、

5月になると訪れる薔薇の再会に心が弾むのです。

 

記憶の中の、空気や匂いさえも時が過ぎれば、

積み重なった本棚の埃のついた古い一冊の本にも似て、

そのページをめくる事も忘れてしまいます。

 

ある朝、キッチンでパンを焼いていた時の事でした。

焦がしたパンの匂いが突然、

私の記憶を呼び戻したのです。

余程、お腹が空いていたのでしょうか。

そこには、テーブルの上に、いかにもイギリスらしい薄切りの焦げたトーストが皿に盛ってあり、コンチネンタル・ブレックファーストと言う声の見慣れたHotelのスタッフが笑っているのです。

LondonHotelの朝はいつも、薄霧がかかったようで、地面は濡れているのか、車のライトが路に光るのが見えるので、こんな日は又、ロンドン日和かもと思うのでした。

 

しかし今、私の脳裏には

あの焼け焦げた、薄っぺらのトーストが皿に盛りつけてある

あの、朝食が懐かしいと、

喰い意地の記憶は忘れることは無い様に思いました。

 

心の中のhard discは、

映像として脳裏に残せるとしたら、限りあるのでしようから、

小っぽけな、私の脳裏に収めるとしたら

胸にキュンとした小さな出来事でもいいから、

忘れずに残ればいいと思うのです。

不思議な事に

哀しい、辛い事は次第に消えているのに気がついた時

だから生きているって素敵なんだと感じました。

 

それは、あの辛い事の後に

人の優しさに感動したり

思い切り笑った事もあったのに

気がついたのです。

 

長い旅の終わりが次第に近づいて来ると人は

皆、人生の徒然の日々を

旅日記にしたいと想うのです。

ほんの些細な事に

心がときめくなら幸せではないでしょうか。

 

こうして、約束を忘れずに咲いてくれた薔薇の花にも

ありがとうを伝えてみたくなりました。

外は、五月雨の降る一日です。

 

遠く離れた人にも

辛い思いをされてる人にも

今、思い切り笑ってる人にも、

きっと

約束どおりに、

明日も朝には、明るくなるからね。と祈るのです。

Kiki's letter on web vol.59

キキ通信 vol.59

2016.7.8.fri.

今も生きている事

 

季節毎に、移り変わる情景に気づく時、

目に映るのは、いつも木立のある森でした。

 

あたかも、其処に精霊が宿るという、

それは私だけの、きっと

お伽話なのです。

 

忘れて行く不思議な物語の記憶は、時には

私を呼び覚まします。

 

いつか聞いた昔の話によれば、

スウェーデンに住んで居たという曾祖父が、

13年ぶりに帰国したのは、私が生まれた夏も終りの頃の事、

私は、その曾祖父に、

人形のように可愛がられていたらしく、

童話の本や絵本が至る所に積み上げられた部屋には、

手で押し上げて開ける西洋風の窓が並んでおりました。

窓の脇には、

小さな私にとったら、背丈以上の蓄音器が置いてあり、

其処からは、いつもヴァイオリンよりも低い音色の

ヴィオラの音が聴こえていたそうです。

その音を、

まるで部屋に閉じ込めるかの様に、

部屋の窓硝子を一斉に閉めさせたのは、

神経の細やかな、曾祖父らしい気づかいか、我儘か、

当時は誰もが分かっていたらしく

蓄音器からの、音が聴こえると、

窓をパタンパタンと閉める音も響き

それから、彼の自由空間は始まるようでした。

私は、そんな木枠の窓の、ギザギザの硝子もよく覚えています。

西洋式スタイルの当時の窓は、モダン好きな彼の、

こだわりだったのでしょうか。

 

その場所で、

熱い牛乳に砂糖のたっぷり入った紅茶を、

カシャカシャと混ぜたら、

スプーンを私の口に入れて飲ませるのが、

彼にとってのお気に入りの時間だったそうです。

 

それから、しばらくして翌年の、6月27日

結核を患った曾祖父は呆気なく、この世を去っていきました。

 

その後、

肺結核の曾祖父の物は、全て焼き捨てられました。

あの銅版画の絵の童話も灰になりました。

 

当時は、死の病いとされた肺結核はついには母の体にも移り、

本が好きで、私とよく遊んでくれた叔父が、

19歳で亡くなったのは2月の寒い朝の事でした。

 

世界は動乱の時期を迎え、やがて太平洋戦争が始まりました。

 

あの、パタンと締めたモダンな硝子窓には、紙テープが貼られ

蓄音器もかけることは、もうありませんでした。

 

食べる物資も途絶え、

東京の街は炭火で焼かれたように灰になりました。

陸橋の下の電車は焼け爛れて、赤く骨組みだけが残る

錆びたブリキの欠片の様でした。

 

遊ぶ物は、蜜柑の皮を切ってお肉屋さんのお店になり、

葉っぱのお皿には土を丸めたお団子をのせて、お菓子屋さんに。

物が無ければ、何とか考えるから、

それでも楽しいと思えたものです。

 

そんなある日、

隣に住む男の子二人と一緒に木立の繁る森の中に来ました。

木の切り株の椅子に私は腰掛けると、

頭の中に、あの頃読んだ本のお姫様が浮かびました。

 

隣の、健ちゃんは、同じ歳の男の子で、彼は骨太で小柄。

向かいに住む、みつるちゃんは一つ上の男の子で、

色じろで背が高く無口な子でした。

 

何故か、お姫様には、見向きもせずに、

二人は落ちていた木の枝で、兵士の様に戦いだしたのです。

 

結末は、年上の、みつるちゃんの敗北でした。

 

すると、初めてこちらに近づいた、みつるちゃんは突然、

お姫様の背中を突き飛ばしたのです。

 

森の草むらに、顔から転ろげた、私の口からは、

どこから溢れているのか、いつから溜めていたのか

噴き出る赤い血は、草の中に流れていきました。

 

私の小さな肺の中には結核が、潜んでいたのです。

小学校入学が、三日前の事でした。

 

あの日、

みつるちゃんが、突き飛ばさなければ、どうなっていたか。

私の体の肺結核は手遅れに近い程、進行していたそうでした。

 

それから、私は小学校の門を、一度も通り抜ける事も無く、

終わりました。

 

時は、やがて

終戦を迎え、日本は負けました。

 

そして

私は病気に、負けずに生きていたのです。

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