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Kiki's letter on web vol.40

キキ通信 vol.40

2014.3.15.sat.

陽がさしこむ床の上に置かれたブリキの花入れから、

春を待ちわびた花が其処にいた。

まるで呼吸をするかの様に、花の命を感じる。

この花を観ていると、

この花を生き物の様に描くある作家の絵を思い出す。

そんな私に、花屋のオーナーは語ってくれた。

もう花絵さんが逝って12年になると。

そして彼女の、もうひとつの呼び名はポピーとか。

思えば12年前、

私が花屋「4ひきのねこ」の店の前を通り過ぎようとした時に、

花絵さんに声をかけられた。

「お茶飲んでかない?」と。

時間無いから、今度にする。

花絵さんは、じゃあ、又ね!と

ニッコリ笑って花屋の奥に入っていった。

店先の花のある場所から奥に入ると、

一段高くなった場所にテーブルが置いてある。

そのテーブルの上で

月に一度花絵さんと一緒に花に触れる日があった。

好きな花を、好きな器に入れたらいい、と私に教えてくれた。

あの日ちょっとの時間を

花絵さんとお茶しなかった事を私は悔やんだ。

次の朝

花絵さんは一人で逝ってしまったのだ。

私は彼女と約束をした事がある。

私が死んだらね、アナベルの花でいっぱいにして欲しいから

約束だよ!と話すと

「それじゃあ、アナベルの咲いてる時に死んでよね!」

と言われた。

「約束がちがうよ!花絵ちゃん!」と、

答えてくれない彼女に私はアナベルを渡しながら、何度も言った。

季節が変わると芽吹き、花は再び咲きほこる。

たとえ朽ちても、輪廻の約束をその根は忘れない。

春は、命の芽生えが始まる。

それぞれが、自然の営みを慈しみ

宴を待つ時も

春の嵐に耐える時も、

恵みの雫は

やがて陽のひかりとの共演になり美しく奏でることだろう。

Kiki's letter on web vol.41

キキ通信 vol.41

2014.4.3.thu.

四月の花物語

 

ショールを首にぐるぐる巻き

冷たい手をポケットで温めながら

風を避けるように歩いていたのは、ついこの前の事。

そんな冬は私にとって然程嫌いな季節では無かった。

朝早い冬のロンドンの街を歩いていた頃は

キーンと張りつめた空気が好きだった。

そう言えば私は春のヨーロッパの街を知らない。

春はやっぱり何と言っても、日本の桜の季節。

花はその季節の衣装の様に

移り行く姿を再び咲かせてくれる。

 

花の命は短いもの、

風雨にさらされ散る時も、萌える若葉の季節にも

落ち葉の前に染まる紅葉も

自然の営みと共に美しさを忘れない、

そんな桜の木はいつも私の眼の前にいる。

私の部屋の窓を開けても、

森の中の屋根裏からも

桜の木が見える。

 

私が美しいと見ているように

桜も私を見ていてくれるのだろうか。

 

昨夜降った雨がやみ

今朝も窓を開けると満開を過ぎた桜がいた。

明日は嵐になると言う。

今年もまた、桜吹雪の舞いを見せてくれるのだろう。

Kiki's letter on web vol.42

キキ通信 vol.42

2014.5.14.wed.

木の葉が一面に輝き、色を染める5月。

森の中のうさぎ館のガラス戸に白いカーテンが引かれると

スタッフが慌ただしく動き出した。

 

日没になるとスクリーンが降ろされ

監督の片岡翔さんが機材の調整を始める。

カフェの中央に置かれたテーブルには

チーズやチョコレートが盛り付けられた。

芳香と共に揺らぐキャンドルの灯りに、

ワインを手にした人が集まった。

4匹のねこのゆうさんが、

新鮮なすずらんの花束を抱えて来ると

「 幸せの再来」の花言葉が

そこに伝わるように人々が語りはじめた。

五感で味わう、その一つに香りのセラピーの出逢いもあった。

呟きにも似たギターは、

誰に邪魔される事も無く心地良く弾き語りはじめた。

 

今宵、ここに集う人達には

何の脚本も無く、そこに特別にテーマがあるわけでも無い。

ただ、今の自分に向かいセカンドステージを目指している現役の

クリエーター達が集まっただけである。

暗い夜の森にグラスを手に語る人の声と灯りは、

いつものうさぎ館ではなかった。

けれど、その場面を切り取れば

いつかパリで観た夜の景色にも似ていた。

それは5月1日の

すずらんの夕べの

ある出来事。

Kiki's letter on web vol.43

キキ通信 vol.43

2014.5.22.thu.

カフェのスタッフのミキは、この日ギターの弾き語りをした。

5月8日 Neuf展

 

原宿表参道にて

18回を迎えたneuf展は

今年で最終回となった。

この日、緑が眩い表参道のケヤキ並木を背景に

一日だけのカフェテーブルを開いた。

 

今年も、この時期になると

我が家の薔薇は待ち兼ねた様に咲いてくれる。

ピエールドロンサールと言う名のこの薔薇は、

やはりフランスの詩人らしいと思う。

 

翻訳家の和田氏が話してくれた

synchronicity(共時性)の不思議さも、

思い方ひとつで物語にもなり、

必ず訪れる同じ季節の繰り返しの小さな出来ごとも、

自分だけの Moleskine のベージにコラージュしてみると

日々の普通の暮らしが幸せに思える。

 

すずらんの幸福論は

薔薇の花物語になって

続いた

Kiki's letter on web vol.44

キキ通信 vol.44

2014.6.1.sun.

吉祥寺の五日市街道を入ると直ぐ、古い倉庫のショールーム、

アンティークファニチャーや照明器具が展示されている

the moon が新しくOpenした。

そこは、まるでロンドンを思わせる、

何とも懐かしく、落ち着いてしまう場所。

吉田キミコの絵

「 ヴィクトリアンの子供 」

「 夜のカーニバル 」(120×120)油彩は

いかにも居心地良さそうにこの場所に飾られている。

 

この作品は、一昨年のパリ市企画のイベントには展示され無かった絵である。どちらかと言えばロンドンの古びたドアの傍に置かれている様な、物語を感じる絵であるからパリには出品していなかった。パリ市の企画の展示も、そこはパリ市街から少し外れた、フェアトレードのマルシェの倉庫だった。シュールなファッション性のある作品を選んだ訳でも無いが、そこに来た人が興味を示した絵は

日本のギャラリーでは気を止めない様な絵だった。絵画としての評価と言うより、其処の空気と世界感は誰の物でも無い、一人の作家の生き様が生まれる作品は何処にも無い物だから、好きなイメージだけしか表現出来ない一点物の面白さがあるのではないだろうか。

 

吉祥寺のこの場所で迎えられた吉田キミコの絵は今、

住処をようやく見つけた我が子の様な姿勢で佇んでいた。

又、逢いに来たい気分を残して

見上げる様に重厚な硝子の扉を後にした。

振り向けば、夕闇の空の色と

白熱灯の照明が硝子戸から漏れている風情は、

いつか見たあのロンドンを思い出させてくれた。

5月も終わりに近い夕暮れ時

仲山さん、石原さんと安西さんに見送られて

the moonを後にした。

アンティークテーブルの上に運ばれた、

熱いアッブルティーの香りがまだ残る帰り路だった。

Kiki's letter on web vol.45

キキ通信 vol.45

2014.7.18.fri.

ある夜

北海道の富良野から

摘みたてのラベンダーが入荷したのを贈り主から頼まれたのでと、

私の家の玄関先に届いた。

ラベンダー色のシルクのように柔らかな包み紙の中で、

富良野の朝露の滴に色濃く染まる花は、

辺り一面に香りを漂わせた。

私の部屋に今宵訪れた癒やしの精霊は、

七夕も過ぎた満月も近い夜に、もう一つ

また夢を運んでくれた。

夜が明ける前に、そろそろ眠ることにしなくては。

夢の続きが覚めないうちに。

明日も、命あるものが、

小さな幸せを心に感じて過ごせますようにと

願いたい。

Kiki's letter on web vol.46

キキ通信 vol.46

2014.8.11.mon.

嵐が過ぎ去り、時折窓枠が軋む音がしていますが、

静かな夜になりました。

この家は古いもので、

木の窓枠の隙間から、風がカーテンを揺らしております。

窓枠の木に塗られたペンキは、随分剥げ落ちておりますので

こんな夜は、又傷むのではなかろうかと気になるのです。

もう、この家に移り住み40年以上になるでしょうか。

小さな苗だった葡萄の木は今ではすっかり、

この家の主の様に生い茂り、

季節毎にその色の移ろいを私の前で演じてくれるのです。

立秋を過ぎる頃には、緑色の小粒の実は葡萄色に染まり

甘い香りがしたら早起きの鳥に見つけられてしまいます。

器用に皮だけを散らしていく鳥に、

葡萄の実は、そのまま食べるのが美味しい事を

教えたくてなりません。

今朝も私は、鳥の朝ごはんの後片付けをしながら、

そんな鳥に逢いたくなりました。

きっと我儘だけど、声の綺麗な鳥かも知れないと思いました。

そんな一日の始まりは、

秋を待つ好きな時間になりそうです。

Kiki's letter on web vol.47

キキ通信 vol.47

2014.11.21.fri.

秋に

私の家の葡萄の木の話をしてから、もう何ヶ月も過ぎ

季節は、秋から冬に変わってしまった。

その葡萄の木の葉は すっかり落ち葉になって道を染めている。

webデザイナーのMさんが、NYに移住してから、

私の方も、時間に追われる日々で、

気がつくと何日も、何ヶ月も風が通り抜ける様に終わって行き、

キキ通信の季節も通り抜けてしまった。

 

11月、40周年を迎えた童画会の展示も終わった。

今年は、箱の中に詰め込んだ私の世界をテーマに表現したが、

制作過程は結構気ままに楽しめたのだが、

それを美術館のフロアに置くと何か違うと思った。

窓があり、椅子があり、お茶が飲めるテーブルも欲しい。

やはり私の創る物は、絵画的な物では無いと気がついたのだ。

 

自分ひとりの部屋の中が、やはり居心地がよいのである。

もしかして、これも幼少期の体験から得たものかも知れない。

良きにつけ悪しきにつけ結果、病床の隔離された幼児期の経験は

今も何処かに現れる事は自己表現のひとつだと思うことにしよう。

 

これから先にも、昨日までの時間を懐かしむ日々があるのなら

物語の1頁になる時間でありたい。

 

昨日は、ボジョレーヌーボーの解禁日。

吉祥寺の本屋で見つけたワインの本を抱えて

カフェで久々に時間をつぶす。

 

実は朝、予約していた眼科で、再検査があり、

結果、やはり緑内障だった。

まあ100まで生きたら失明するだろうね。と院長の穏やかな表情が

印象的だった。

 

とっぷり暮れた外は、雨が本降りになっていた。

タクシーは全然拾えない、抱えていた本まで濡れてしまった。

 

『葡萄酒物語』宇野亞喜良氏の挿絵が美しい本だ。

cocoシャネルや藤田嗣治が纏わる話や、

ワインは救世酒と言うところ等は洒落た内容だ。

 

家に着いた時はもう頭から滴が落ちる程濡れていた。

こんな時は熱いバスタブとホットワインに限る。

 

一日の出来事を素敵に変えるのも自分だから

全ての出来事も、私の物語の

やはり1頁になればいい。

Kiki's letter on web vol.48

キキ通信 vol.48

2014.12.9.tue.

ノエルも間近い12月に、

 

12月になり

今年最後の打ち合わせに、いつもの顔ぶれの人が集まる日の事。

 

その日の朝、偶然ですが

亡くなった母の鮮明な夢を観たのです。

私と母は、ある演劇公演を観に行っておりました。

内容は定かでは無く、

ただ母の生涯に似たものだったと思うのです。

ところが監督が内容を変更した事を伝えておりました。

それは、白一色の天使が舞う美しい舞台になっていたのです。

題名は 「 キキの生涯 」

その時

「そうですよ。 この子はキキと呼ばれているのです。 」と言う

母の声で私は目を覚ましたのです。

 

時間は、9:03分

日曜美術館が始まる時間。

丁度、宵待草の曲と共に

竹久夢二が語られていました。

懐かしさが、何故か込み上げました。

 

私は奇跡の精霊が降りて来たのを幾度か体験した事があります。

 

人は、何にも無い一日を、どう自分が感じ、どう次に進むかは

誰にもわからないことです。

けれど、ある出来事に涙し、どう切り替え、どう決断をするかは、

自分で決めなくてはならないのです。

その日

私が去る筈の場所に、

顔馴染みの顔が集まり、

今も私に笑顔と優しさを伝えてくれました。

去る事は私の美学と言う心得は今も変わりは無いのですが、

「終わり」はいつでも訪れるから、

ゆるゆるとした時間と過ぎて行く時間の早さの中で、

引退と言う決断の時をもう一度巻き戻して、

みるのも自分なのです。

 

いつもと同じ夜が終わり、

今朝も、冬の陽が

この部屋に温もりを与えてくれる、

いつもと変わらない一日が又始まりました。

Kiki's letter on web vol.49

キキ通信 vol.49

2015.1.15.thu.

2015年 1月

 

新しい年が明けて、日々過ぎることの速さを感じる間も無く今日も一日が終わっていきました。

気がつけばもう、明けましてのご挨拶が出来なくなりそうです。

あらためて新年おめでとうございます。

 

幾度かキキ通信は、自己満足の戯れではないのと思いながら月に一度の更新の度に終わろうかと思っておりました。

そんな時、お逢いするのも途絶えた方から「キミコさん、キキ通信見てます。」と書いた手紙が送られて来ました。

 

終わってしまう事は直ぐにでも出来るけど、

歩みつづける事により自分を又振り返り、

人の優しさを知る事もあります。

明日何が起きるか、誰れも知ることは出来ないのです。

今、この時間の例え小さな事も、いつか忘れてしまいそうな事も

少しだけ静かに想う時が自分流のキキ通信の時間かも知れません。

 

去年の Noel の頃から体調が思わしく無かったので、こんな時こそ、ゆっくりペンを取る時間にしたいと Noel et Bonne Annee の card に宛名を書く時間を久々に作ろうかと文箱の蓋を開けてみました。

 

古い文箱の中はまるで時間が止まった様でした。

外の寒さも、ざわめきも、ここには無く硝子戸越しの陽だまりの中でその文箱から、タイムトリップした誰も知らない、忘れそうな私だけの、お伽話の世界が訪れるのを見つけました。

 

その昔の冬の事、私がイギリスのロンドン市内に滞在中の時に

母は新宿にある女子医大病院に入院しておりました。

帰国しようとした私に

「貴女が今ここに来て自分の側に居なくても、好きなイギリスの旅をするお前の姿を想像する方が薬になるのよ。」

と書いた母からの手紙が届いたのです。

 

それから数日後、私がロンドンを発つ日の事

Marylebone の Chutch Street にあるアルフィーズ・マーケットで知り合ったMr.ディビイット氏が

「 いつかキミコのアリスの展覧会がイギリスで出来る日を待っている。」と古い銅版画を私に渡して見送ってくれました。

 

あれから十数年が過ぎ、時を隔てた想い出は、冬の温もりの部屋の中で昨日の出来事の様に蘇るのです。

 

此処の窓辺の硝子戸では今、オレガノやタイムのハーブの葉が、春を待たずに新らしい芽を伸ばしています。

冬から春への私だけの昔の、お伽話の時間は

又過ぎて行くのです。

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