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Kiki's letter on web vol.20

キキ通信 vol.20

2012.4.14.sat.

お久しぶりです。

元気にしていましたか。

 

キキ通信を最後に書いたのは丁度二ヶ月前の二月でした。

あれは「ヴァレンタインに贈る言葉」の展示会の時でした。

確にあの日は沢山の人が来て下さいました。よく喋りよく飲みよく食べる三日間てした。私の展示と集いの為に寒い冬の冷たい雨の日も此処まで足を運んでくれた方々に遅くなってしまいましたがこの場を借りてお礼を申し上げます。

一年に一度のヴァレンタインの日はそれぞれの方にとって大切な特別な日でもあるだろうに、もしかしたら誰も来ないかも知れないと先回りして、そう思っていました。

 

今頃になって小雪のちらついた月遅れの話なんて変ですよね。

もう季節は変わり、この部屋の窓から見える桜の木にはあっと言う間に咲いた桜の花が花冷えの冷たい小雨に色褪せてはらはらと散っておりますのに。

季節の移り変わりは早くて、私も何故かこの頃先を焦り、少しも止まる事が無い様な生活を過ごすのは何故でしょうか。

過ぎて行く時間の速さに追い付く事は無理でも、今この時間も過去と言う流れの向こうに通り過ぎてしまうのならちょっとだけ待って、なんて呼び止めても容赦無くさっさと置いて行かれます。その過ぎ去って行く時間を呼び戻すのでは無く、この一秒を大切にしてあげようじゃないのと。別に逆らう訳ても無く過ぎ去る時間が大切に思うようになっただけの事でしょうか。

私の話はよくまあコロコロと跳んでしまい申し訳無いです。

 

と言う事でヴァレンタインのイヴは思いもかけない程の方にお会い出来たのでした。

忙しい黒色すみれちゃん二人も久保田恵子さんも、まさに今ここで演奏会が始まる幕間かの様な時の流れでした。

山本じんさんとは共通する懐かしい話や世間話が尽きず、よくこれ程話が弾むのかと不思議なくらいでした。同じ何処かで同じ人と話し、すれちがい、笑い、悩んだ時間がその頃あった事と重なって、過去の時間の共通性を感じたからでしょうか。

そんなペパカフェフォレストでの今年で二回目のヴァレンタインの集いは終りました。

 

それから遅い春が訪れた三月に「ままごと遊び」の展示とお茶会は、今年の乙女屋サロンでの最初の企画展でした。

それと、この春には私自身の個人的なプレゼンをするにあたり、かなりハードなスケジュールを組んでの慌ただしさでした。

 

私には三人の子供が居ります。それぞれが成人し家庭を営み、それなりに今、穏やかに生活をしております事に何事も無い、この今の幸せに感謝するばかりです。一組の家族が日本を離れる事になり、もう一家族は関西の神戸での暮らしをして十年以上が過ぎ、阪神の震災から復興までも経験して今は穏やかに暮らしております。

 

今回、ひとつの家族が、海外に発つ事を私は賛同しました。

一度だけの人生に賭けの決断をする時、失敗は恐れるより夢が僅かでも見えたらそれに向かって試してみるのも、良いでは無いかと。

無責任な決断となるかも知れない。しかしそれが結果が出るまでは苦労も覚悟で自分が選んだ道は険しくも諦めない事だ。そうするといつの間に忘れた頃フト奇跡が訪れる時がきっと来ると思うのです。いえ、それを信じて今日まで私は自分の路を辿り奇跡にも遭遇しました。けれど大切なのは命です。命と生きる事はかけがえの無いものだから幸せは健康でいなくては、と言いながら私自身は無防備で好き勝手に生きているのですが。

三組の家族を集めて見送り会の食事ばかりしたりのスケジュールでしたが、無事に終り何よりホッとしたのです。

 

幸運な事にもう一つの家族は一番近くの30分位の場所で暮らしている事。屋根裏住まいは去年から出来なくなったのも、実家に戻り暮らす事のシナリオがあったのだと思えばそれから又始まるのです。

 

それぞれが共に一緒に暮らす事は無くても、例え西と東と海外と日本でも、30分の距離でも、心の中にも記憶の中にもある魂は離れる事が無ければそれでもう充分幸せに思います。不安や寂しさは生きている者の宿命であり、だからこそ喜びは小さな事から何も無い平穏さからも感じられるのです。幸せなんてそれが如何に感じて伝わるかで決まるのだと思いながらも、あれもこれもやりたい事ばかりにまだ追い付けないのですが。

 

私は今久しぶりに猫のミミとの暮らしに戻り、又一から空想の時間を作ろうかと思いは果てしないようです。

今もトランクひとつ持っての生活に戸惑いは無く、旅の続きの様に暮らしている事に満足してるのです。自分の居場所を求めて若い頃にさ迷い幾度と無く移り住んだ事だろう。

 

今私がやれる事はまとめる事、私の人生のスクラップをトランクに入れてまとめてみる事。それが春まだ浅い三月に乙女屋での「ままごと遊び」からの始まりでした。

いつもの様に企画会議は深夜のワインの席で始まりました。

気心を本音で話せる人は沢山は必要無かった。勿論マネージャー役の乙女屋オーナーと某大学の哲学の先生に、私の本音の真相心理を自然に伝えられた時、ここからが始まりと思ったのです。自分が何を表現したいのか、生半可な少女小説を愛しんでみた所でそれが自分の演じる世界では無いだろうに。そんな討論は心地良かった。しかし夜は更けて行き、課題の途中で余韻を残した会議は終了した。夜が明ければそれぞれが現実に引き戻される。しかしあそこまで真相を話し合えた時間はもう過去として終ったが、胸の奥に何かが動き出した気配がホテルトークから朝のモーニングタイムにも感じられて、いやそれは、二日酔いでは無くむしろ爽やかな朝を迎えられ空気感たった。

 

夜明けに夢を観た訳でも無い。この空気はなんだろう。

 

こうして話はひとつになり六月に行う日程とテーマが決まった。

深夜から朝にかけての三人だけの秘密の約束でもあるこの話が本当に実現するのだろうか。この先多分大いに悩み又立ち直りを繰り返すに違い無い。ひとつ言える事は、少しも辛さは無いのが不思議で、唯この日々は誰かに教えてもらうものでは無い。自分自身の葛藤を自覚して乗り越えなくてはならない事。

あの深夜のワインの席であの二人から貰えた勇気は夢ではあるまいか。夢なら覚めぬ間に私はもう準備をしなくてはならない。勇気の温もりが覚めぬ間に急がなくては時間は容赦無く私を置き去りにするだろうから。例え今日の雨で桜の花は朽ち果てようとも、明日は太陽が照り新しい芽を出すに違い無い。春の陽射しは必ず約束どおりに訪れてくれるからこの桜の木も輪廻を繰り返している。

 

明日はもうひとつ、何かを感じる時間があるといい。

そんな空想を繰り返したりするのです。

Kiki's letter on web vol.21

キキ通信 vol.21

20012.6.1.fri.

5月1日にすずらんの花のカードを描いて友人に贈った。

その日パリの街角の花屋には、すずらんのブーケが並んでいただろうか。

季節が巡るたび約束したように花は咲いてくれる。

今年も春には、遅咲きの桜は咲きアッと言う間に散っていった。

気が付くと木々の枝には、芽吹いたばかりの若い葉が、キラキラしていた。

この季節ならではの色を、森中に染めている。

 

屋根裏暮らしから、実家に移り住むようになっての久々の春に、この庭の薔薇の花達は私を歓迎するかの様に咲いてくれた。ピンク色の濃淡の、ほっこりした薔薇は、絵の様に美しい。この薔薇はフランスの詩人ピエール・ド・ロンサールの名前の由来だそうだ。

私はこの薔薇を観るたび命を感じる。生きようとする命の美しさを思うのだ。

 

薔薇が咲く場所には幸せが訪れると言うアンリ・ル・シダネルの言葉を信じれば私の行き着く場所にいつも薔薇が咲いていた。

それなのに私は薔薇の絵は殆んど描いていない。

いや描け無いと言ってもいいのだろう。

 

やがて、6月が訪れる。アナベルに出会ったのはこの季節だった。

アナベルには、物語があった。

命の儚さと浮き世から離れた者が、再び伝えている言葉のように思えてならない。人はそれぞれ、想いも生きてきた人生も異なるのであれば、同じ花を観ても感じ方は違うだろうが、一輪の花に通じ合う心が交わる時だってあるのでは無いだろうか。

 

そんな時、私は私流の「花言葉」を創るのだ。

その年のその月はいつも必ず訪れて足早に過ぎて行く。

人はそれぞれの生き方で暮らしながら

花を観る人、花屋を作る人、花を育てる人、言葉を感じる人、

そして花の絵を描く人も居る。

花ひとつにしても、それぞれの言葉や物語があるに違いないと想う。

そして、今年の5月は終った。

Kiki's letter on web vol.22

キキ通信 vol.22

2012.6.21.fri.

6月に、何年ぶりかの台風が、

西から東へと、通り抜けて行った日の事、

この日、私の部屋の中でも、

外の雨風に負けない位の何かが始まっていた。

今、部屋には、

11年間冬になると訪れたパリの旅の破片が散らばっている。

小さな紙箱ひとつにも、こうしてまとめてみるとそれぞれが、

あれこれと語り合っているかの様に思える。

10年か、いや20年か、時を隔てた物、

と言っても決して高価な物では無い物たち。

長い間止まって居た時間の命がある物たち。

この物たちに、再び命を蘇らせるなら

ただの塵として葬るわけにはいかないと思って並べてみた。

後を振り向くのでは無い。

想い出にメランコリックになるのでも無い。

 

人の命は、蘇る事は出来ず、

いつかその記憶すら失っていくだろう。

その記憶を、共に語る人も、やがて居なくなり

時間の脆さを止める事は出来ない。

あの笑いころげた日や、泣きじゃくった時の記憶も、

巻き戻す事は出来ない。

今、自分に出来る時間も残り少ないなら、

その時間を大切に表現したいと。

山盛りの過去の小さな箱にも

魂が存在している事を見つけようかと。

この世に、ひとつの命を与えられた時、それは永遠の命では無い事も与えられたのだから、時は日々過ぎて、やがて美しかっただろう形も失っていく。

私の部屋にある、絹の古い衣装も、巴里のよれよれの日傘も、今再び呼吸を感じる。

パリに住んでる友人のお姉さん的男性に言われた事がある。

アンティークのコレクションなら価値があるけどキミコが買う物は全部、塵ね!と。

 

生活の中で私にとっての価値感は、それぞれが異なり自分にとってのこだわりの満足度なら100年経っても飽きない、デザインも美しいル・クルーゼの鍋がキッチンにある事だっていいのでは。

 

仕事場になってしまったこの部屋も、私にとったら好きな物ばかりだ。今日も、アシスタントのチエちゃんは、汗を拭きながら走りまわっている。それでも、お茶の時間になると一緒に食べるオランジェのケーキにホッとする笑顔が戻る。集荷に来た宅配便のお兄さんが、「この天候ですからねぇ~明日着くか?」と少々不安気な言葉を残し、荷物をかかえて急ぎ足で車に乗り込むと雨の中を素早く走り去って行った。この騒ぎに猫のミミは隙を狙って濡れた足のまま部屋に入りこんで来た。

この部屋には、今、猫のミミは入れられ無い。

嵐の後の様に紙やレースや小物たちが散乱しているからだ。

つい何分か前まで、私は小さな箱の中にパリの記憶を詰め込むメッセージを作っていた。

この嵐の夜に西から来る風に向かって西に向かう小さな箱を詰め込んだ荷物の、旅立ちの無事を願った。

 

6月22日と言う日の為に、幾度かプロジェクトを企画したものの中々コンセプトがまとまらず時間ばかりが過ぎていた時の事だった。パリに住む山下さんから突然ですがとmailが届いた。

まだ一ヶ月少し前の事。

それは、パリでのイベントスペースの広い会場が急に空いてしまったと言う事。そしてそんな時、ふと彼女は、私の絵が頭に浮かんだと言った。この場所はキミコさんにピッタリだと思ったそうだ。それで、大きい作品を含めて、まとめて展示しないかとの連絡だった。

その場所は、中心街とは外れる区域だが、パリの下町の情緒が残る街だ。そこは他国籍の文化が混じり、若いアーティストが集うエリアでもある。華やかな街よりも、私にとったら、庶民的な生活感は何より有りがたい場所でもある。

そしてこれも今この時期に何故かとも思った。

偶然では無く、こうなるシナリオが決っていたのではと思う事にして、私は、この折角の話を応じる事にした。

 

それから一ヶ月の間に私の生活の中で、めまぐるしい時が動き始めた。前に進む事もあれば、過去の記憶の残骸を見つめる時間の大切さも感じた。もう、再び私はパリを訪れる事はなかろうと、過ぎたあの頃のパリを私の記憶から忘却の箱に閉じ込めようとして居た、そんな時のことであった。

二度と訪れる事は無いと決めたのは、再び違うパリを見る事により、大切に閉じ込めておくつもりの記憶が壊されるだろう怖さの逃避もあれば、再び昔が蘇り懐かしさに震えるだろう怖さもあった。

どちらにせよ私はもう逃げる事は出来ない。

そして閉ざしたあの頃の巴里の埃をはらい、今、部屋中に広げてみた。

時間も押し迫っってはいるが、今回戸惑っていた6月22日からの展示を、やはり行う事にした。

そして《Petite-Kiki》と言うサイトを立ち上げる事も出来た。

私に協力をしてくれているマネージャーの藤林さんを始め、ウェブデザイン担当の南さんや沢山の人達が私を応援してくれている。

 

そんな事で私は9月から10月までパリのアパルトマン暮らしをする事になったのである。

何年ぶりかの巴里に逢う心構えをしながら、今過ぎた日の巴里があった事を幸せに想うのである。

Kiki's letter on web vol.23

キキ通信 vol.23

2012.7.16.mon.

七月も半が過ぎて、これからが本格的な夏到来である。

 

夏が苦手な、夏生まれの私は何故か、いつも

この季節になると一番活動的になるのである。

前髪をゴムでギュッと結ぶと、気持もやはりギュッとなる。

いわゆるパインヘアースタイル!

女らしさとは、ほど遠く、だからと言って肉食女子にはなれずの、

夏の仕事場の私である。

食生活は、暑さを乗り切るには大切だが、かなりシンプルで、

しかも片寄っている。

冷蔵庫の中の、豆腐とヨーグルトと、オレンジだけは、

ひとり暮らしとは思えない位の備蓄だ。

中でも一番幅を効かせているのはチーズである。

草食ぶっていても膨大なカロリーのチーズは何にも勝る。

とは言え、これが私のエネルギーの素と思えば

この暑い夏を乗り切る為にも仕方無いだろう。

 

四季が巡り、同じ季節は毎年訪れるがやはり

季節も時代と共に変わっていくようだ。

 

自然の優しさ厳しさと向き合いながら人は命を育んでいる。

 

太陽の光に植物は、芽吹き、雨の滴に乾いた土は潤う。

月灯りにときめき、風の流れに音を感じ、

詩を語り旋律に涙したのは、いつだったろう。

 

世の中はめまぐるしく人々は足早に追われ追い越して行く。

欲望は身の丈を越え本当の豊かさは何処へ行ってしまったのか。

命を与えられた者が人の命を破壊し、自然も又猛威をふるい、

自然を破壊した。

ささやかな悦びの豊かさはいつしか忘れ去っていった。

一生は短く日々進化して過ぎてしまう。

 

少しばかり立ち止まり風の音を聴いてみると

きっと灯りが見えてくるだろう。

そして、大切な物を見つけるだろう。

ふと、何気ない言葉の優しさに気付くと

いつか幸せに巡り会える気がする。

不自由な足の私が、再びパリを訪れる事になったのも

パリに住む人が、私の存在を思い出してくれたからだ。

何人もの人の優しさに支えられて来た。

 

遠い地からある日、一通の速達が届いた。

先月のキキ通信でパリの展示会の事を知ったからと。

以前「きっと、キミコさんはパリに又行けますよ。」と、

その人は言ってくれた事がある。

今度は再び、その言葉を手紙で私に伝えてくれた。

その言葉は今、私の大切なファイルの一頁になっている。

 

受けとる言葉も、伝える言葉も、

心に残る大切な贈り物ではないだろうか。

いつか、贈り物のお返しを、する日が来たその時は、

きっと私の作品に、魂が宿るのではないだろうか。

Kiki's letter on web vol.24

キキ通信 vol.24

2012.9.11.tue.

パリの暮らしが始まって、

11年の間、私はパリを忘れた事は無かった。

今、再び会えたパリの空気は変わらなかったが、

私の感じる時代のパリは、過ぎた昔のパリは無かった。

それでもパリは、

私を待っていてくれた様に記憶を呼び戻してくれた。

確かに日々の生活から感じるパリは

そんな甘いものでは無い。

現実を避けて夢ばかり追うわけにもいかず、

まあ、とにかく今、私のパリ暮らしは自分の中では充実している。

この時間も空気も、やはり懐しいパリには違いなく、始まったばかりのこの生活がどうなって行くのかと思うと、愛しくてならない。

あの頃歩いた同じ場所に行くと、同じ建物は、そこにあるのに、

あの頃の人は、もう居なかった。

けれど、誰よりも私を待っていてくれた、一枚の小さな少年の絵は、変わる事も無く、私を迎えてくれた。

Kiki's letter on web vol.25

キキ通信 vol.25

2012.9.20.thu.

秋の色が次第に濃くなり、

パリの暮らしも、半月が過ぎてしまい、

展示会まで、後一週間になってしまった。

課題の作品も、まだ仕上がらず少し焦っているのは、

いつもと変わらずでも

やはり、ここは何処かが違う。

 

決して、ゆとりのある暮らしでは無い筈なのに、

ぼんやり街行く人を眺めたり、

何処を切り取っても風情のあるこの街は

やはり不思議な魔力があるのだろうかと、

コーヒーを飲み終わっても、

その席を離れたく無く過ぎて行く日々を考えたりするのです。

 

確かに、日本ほど便利な暮らしは無いと思う。

生活機能も、遅れている所もあるし、暮らしにくいのも事実だ。

 

路地裏の塀に蹲っている行き場を失った人が、

先の見えない表情で、もうすぐ訪れる冬の寒さの事より、

ひとかけらの今日のパンの事を思っているのだろうか。

 

絵の様に並ぶ、向かい側の巴里の集合住宅の窓辺には、

洗濯物ひとつ干していなく、

赤やピンク色の花がバランス良く植えられている。

まるで、申し合わせたように、色どりも、統一している。

間接照明がぼんやりと見える窓の灯りも、

すべてがこの町を意識しているのだろうか。

誰が決めたか知らぬが、この街の古い建物に住む事は、

自然の暮らしの中で、美しさを保つ事知っている。

 

オスマン改造計画の頃から

生き残る人々の暮らしは、今も何処かで息を潜めて物語っている。

 

カフェに集い

あのランボーや、アポリネールが詩い、

心を慈しみながら、旋律に酔い、

白いキャンバスの上にペンを踊らせる名も無き絵描きは

我を忘れ共に演じていただろうあの時代は、もう返らない。

この同じ場所は、今も其処にあるが、

あの頃の人は、もう何処にも居ない。

 

観光客が、ざわめくシャンソニエは、

中年の歌い手が皿を持って

席を回って歩きながらチップを催促している。

アコーディオンを奏でながら舞台のムッシュは笑顔を絶やさずに、

客に向かい懐かしき巴里を想いおこしてくれているようだが、

懐かしき巴里は誰も知らない。

 

この街の何処かに生き残こる、何かが、遠い他国の、見知らぬ我々にさえも、儚さや美しさを呼び覚ましてくれるのも、又この街に宿る不思議さである。

 

今、私は

幸いにも、この街で、毎年行われている、

年に一度のアーチストのイベントに、招かれた事に感謝している。

Kiki's letter on web vol.26

キキ通信 vol.26

2012.10.14.sun.

パリ・ドゴール空港を離陸した頃は、外の辺りが、すっかり暗くなっていた。

 

滑走路を飛び発つ前の、足踏みをしている様な静かな動きは、やがて大きくエンジンを鳴らし、みるみる機体は上昇して行った。

今頃、街の人々は夜の食事をしながら語っているだろうか。

煌めくパリの灯りは窓の下、いち面に広がっている。

この街は私を見送るかの様に、

星くずにも似た瞬きを演じてくれていた。

 

パリに残されている私の絵は

セーヌ河の畔にあるサロンで今宵もムッシュが見つめてくれるのを待っているのだろう。

ポンヌフの橋を渡ると左岸あたりに並ぶレストランやカフェは、夜遅くまで活気に満ちている。

道路側のテーブルでは山盛りの料理やワインが並び肩を寄せ会う二人、隣のテーブルには、ムッシュが辺りを気にする事も無く、空になったカプチーノのカップをテーブルに置いたまま、一人いつまでも煙草を吹かしていた。

各々の人々は自分なりに過ごす時間が、そこにあった。

私が借りていたアパート近くはパリの下町だったが週末になると若者達に限らずレストランの外の席も満席で、何を語るかいつまでも賑わっていた。キャンドルの灯りがともる外のテーブルは晩秋の夜を惜しむ様に更けて行く。誰を気にする事も無く、語る人も、一人ぼんやりする人もいる。

 

そんなパリの灯りは、窓の下から次第に遠ざかり、

闇に消えて、もう見えなくなった。

再び、この街に逢えるか知らぬが、

やはりパリは私にとって忘れる事は出来無い街だと、

12回目の、パリの旅が終わり想うのだった。

Kiki's letter on web vol.27

キキ通信 vol.27

2012.12.31.mon.

2012年が終わりに近付き

この通信をひらいたのも、もう2ヶ月余り前になるでしょうか。

私がパリを後にしたのが10月初旬で、10点余りの私の絵は、その頃まだパリのサロンで展示されていてパリの街を飛び発つ夜は少々メランコリックになっていた気がした。いや、パリと言う街は人をそんな気持にさせる魔力があるのかも知れない。

帰国して間も無く新作の「路地裏のキキ」を仕上げ上野美術館に展示した。

いつもの事だが、作品を仕上げる時は期日がせまり追い込まれている時が殆んどで、恰かも自ら追い込む状況を作るかの様にしてるわけでは無いが、そんな時の凝縮した時間は私は満更嫌いでは無かった。

しかし、いざ絵が仕上がり美術館のライトの下で晒された時、もっと時間があったら良かったのにと悔やむ。

この上野の美術館に展示されるようになって今年で38回になるが、振り替えれば毎年私は同じ事を繰り返していた気がする。これが私流なら、もう今更悔やむこともなかろう。

土壇場に強い人生を信じる気持は今も変わらないようだ。

今回の作品の背景はパリで過ごした裏通りの坂道で、朽果てた古い壁をイメージした。落書きの様にメッセージを書いてからサインをするとそこで筆を置けるからいつもの様にフレーズを探しながらインクの入った箱を開き、ペンを出していた。

ドアのベルが鳴ったのはその時だった。

小さな小包は一年以上前に絶版されたフランス語のF先生のフレーズの本だった。何故今?この時期に、この時間に?と目を疑った。私はドキドキしながら、ページを開いてから、再び目を疑った。どうして?このページ?と。

そこには、私の大好きなボーヴォワールの言葉のあるページだった。

今年も私はあの頃と同じ様にサルトルとボーヴォワールの眠るモンパルナス墓地に行った。1980年にサルトルが没後86年にボーヴォワールは死に至るまで創作活動を続けていた。二人の墓の前に佇む人は今も絶えない。私はこの偶然に奇跡を感じた。

翻訳家のM氏によるとそれはシンクロニシティ(共時性)因果関係を超越したところで意味のある偶然が起こるという。心理学者C・Gユングの提唱した概念だそうだ。

「涙のすべてには、希望がある。」シモーヌ・ド・ボーヴォワール

やがて今年も終る。

来る年に希望を、、

Kiki's letter on web vol.28

キキ通信 vol.28

2013.2.17.sun.

2013年の始発列車に私は乗り遅れたのだろうか。

それとも2012年に見送られるのを待っていたのか。

何れにせよ私は

新しい年の挨拶すらしないまま

立春が過ぎてしまったことは事実で、

だからと言って

もう言い訳がましい事はやめた方がいい。

私は今

過ぎて行った時間の記憶を慈しみながら、今日の時間を大切を過ごしていることをお伝えしなくてはなりません。

この空白の時にも、確かに私は呼吸をし、感じ、人と語っていた。

 

明日、私の元に、

船旅を終えた作品の絵がパリから無事に戻って来る。

船底での長旅は木箱にとったら過酷にちがいなかっただろうと。

 

私の絵を支えてくれた木箱を灰にするのはやめよう。

Kiki's letter on web vol.29

キキ通信 vol.29

2013.5.3.fri.

5月1日

季節は薄緑色になり庭の薔薇、ピエールドロンサールが一輪ほっこりと咲きました。

桜もアッという間に散って行き、足早に新緑の頃です。

 

キキ通信をすっかり更新出来ずにおりました。

思えば自分の感情をずらずらと長い言葉で書いたものだと気が付きしばらくお休みしておりました。

それより紙に書いてみるシステムノート、いわゆるスケジュール記録にしたもののメモ書きが増えて行くばかりで、文章は長い程見苦しい事にも気がつきました。

昔、サロン・ド・キキの人達に毎月紙切れに言葉綴りを書いてそれに写真やカットの挿絵を載せてコピーして封に入れ好きな切手を貼って投函する、この作業を90名の人に出していた時は、書く手間も気にならず、それより投函した重みの手応えに喜びを感じていたものでした。

ひとり一人のサロンの人の顔が浮かんで来て、読んでくれているだろうかと心するのが喜びでした。

返事は無くても一方的にキキ通信として毎月投函していたのです。

今より時間の余裕も生活の余裕も無い時のことでしたが生きいきとした自分がいた様に思えます。

よく続けられたものだと自分ながら感心してしまうのです。

きっとサロン・ド・キキは決して孤独な作業では無かったから励みになったのだと思うのです。

見て感じてくれる人がいる自己満足感にひたっていたのではないだろうかとも。

いつの間にか又長い話になってしまいました。

 

最後になりますが、ひと言伝えて終ります。

 

五月一日は、パリの街では「すずらんの日」と言われ、

すずらんの花のブーケを贈る日。幸せの為に。

 

すずらん(muguet)の花言葉

retour du bonheur 「幸せが戻って来る」

fin de pine 「痛みの終り」

 

と、フランス語のフジタ先生が伝えてくれました。

明日も素敵な一日を迎える事を祈ります。

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